前のめりに生きる。一歩踏み出せば決してコケはしない。

生きるって大変、でも、だからこそ素晴らしい!

久しぶりにだるまさんが転んだらしい

 
田舎に帰って5か月間、僕はとても贅沢な日々を過ごしてきた。
もちろん言うまでもなく、経済的な贅沢ではなく、時間の使い方において。
 
東京や関西、沖縄など、引く手数多とは言わないが前職関係業種の数社にお声がけ頂いたものの、僕は一度、田舎に戻る道を選んだ。
たくさんの本を読む時間と、書く時間と、考える時間が欲しかったのだ。
が、望んだ時間は、そうなかなか簡単には望んだ結果には結びつかない。
小説も書くし、脚本も書くし、エッセイも書く。
自分のなかで"まず半年"という目標を立てていたのだけど、自分の望む結果は出ていない。
 
前職からの知り合いである親愛なる50代の友人は、
「そんなすぐ結果なんか出るか」と励ましてくれる。
 
高校時代の国語教師である40代女性と呑んでも、
「成功する者は必ず挫折を味わうものだよ」と励ましてくれる。
 
夢を諦め、飲食関係で働く同じ大学だった友人は、
「お前は走り続けてくれよ」だなんて無責任なことを言って励ましてくれる。
 
そうじゃねーだろと、僕は思う。
半年で結果が出せるほどの実力がなければ。
半年で結果が出るほどの運が味方でなければ。
そういう人間でなければ、半年後の自分の未来はもとより、
いつか分からぬ夢を叶えたときの自分の姿など、語れない。
 
もちろん夢は諦めることなんてできないのだけど、せめて自分で自分の飯代を稼いでから偉そうなこと言おうぜってなもんで、その区切りを半年としていたのだ。
だって、今収入0だもの。w
確か川上健一氏も、警備員の仕事をしながら小説家デビューしたのではなかったっけ?
『ららのいた夏』とか、『雨鱒の川』とかの作者。
僕は彼の本が好きだ。
正直言うと、セリフの妙だとか文章構成の技巧的な部分はあまり感じない。
読み手によっては、稚拙だとすら感じるかもしれない。
でも、僕は彼の本が好きだ。
両手を広げてさあ読んでくれと言われているかのような、清々しさと正直さを感じるから。ヒキタクニオ氏のまっすぐな感じとも少し似ているのかもと。
 
それはいいとして、とにかく僕は就職活動をしようと考えたのだ。
が、田舎でできる仕事は限られている。今までの僕の仕事とは似ても似つかない。
やりたいことはたくさんあるのだけど、起業するには先立つお金も必要になる。
かと言って、都会にまた出るとなると、まず思い浮かべるのはママンのことだ。
 
ママンは、近頃びっくりするほど物忘れがひどい。
物忘れというレベルかどうかも怪しいくらいに。
 
僕の祖母も、痴呆になるのが早かった。
僕が小学校高学年の頃には同じ話を何度もするようになっていたし、
中学にあがる頃には「あなた誰?」状態だった。
 
とても大切にしてくれて、
おんぼろバスでデートして、
足し算引き算を教えてくれて、
生き物の命の大切さを教えてくれて、
たくさん愛情を注いでくれたおばあちゃんに、「あんた誰?」と言われたとき、僕の心臓は消えてなくなってしまうかと思うくらいに縮んだ。
きゅーっと、音が聴こえてきそうなほどに。
 
僕「ばあちゃん、僕やん。なーくんやん」
祖母「はれ?なーくん?大きなったねぇ。ごめんよ、おばあちゃんバカになってしもてなぁ」
 
おばあちゃんに会いに行くと、このやりとりを30回は繰り返す。
5分に一度間隔で。
「んーん、いいんよばあちゃん」と、30回も慰めるのが切なくて切なくて、30回も申し訳なさそうに悲しい顔をするおばあちゃんをみるのが苦しくて苦しくて、僕はおばあちゃんから遠ざかった。大好きなおばあちゃんを、ほんの少し嫌いになった。
 
少し大人になった僕は、思う。
なぜ忘れ去られたあと、おばあちゃんと距離を置いてしまったのかということではない。どうして完全に忘れ去られるまでの僅かな時間、微かに残るおばあちゃんのなかにある僕の存在を、自ら薄れさせてしまったのかと。どうして残された時間、もっと同じ時間を共有してあげることができなかったのか、と。
 
きっと恐かったのだろう。
確実に僕のおばあちゃんなのに、確実におばあちゃんの孫ではなくなっていくことが。
 
ママンが僕を忘れるまで、あとどれくらいだろうか。
 
きっと、精一杯、それまでの時間を一緒に過ごすことができても、悲しみと苦しみは和らぐことなく、結果は同じだろうと分かっている。
それでもなお、何かいい方法はないか、もしくは僕が自分で納得できる道はないものか、考えずにはいられないのだ。
 
ダディに相談してみようかと一瞬考えが過ったところで、自分の弱さと脆さを呪う。
「お父さんたちのことは気にせず、自分のやりたいことを、やりたい場所でやりなさい」と言うにきまっているのに。
結局はそう言ってほしいんだろと、自分が情けなくなる。
 
ママンに万が一、僕がこんなことを考えているとバレたらそれこそ大変だ。
そんなこと考えてもらうためにあんたを育てたわけじゃない、自分のことだけ考えなさいと、汁が見えないほどに具がたくさん入った味噌汁をぶっかけられることだろう。
 
大して良くもないくせに、余計なことを考えてします僕の脳の一部分。
ほんの少しでいいから、こっそりママンに分けてあげれないものか。
物理や世界史や、英語に一般常識。そんなもの忘れたってかまわない。
どうみても失敗だろと思うような猫マンマみたいな親子丼の作り方や、
びっくりするような色使いをみせる服のセンスを忘れるのは残念だけど、そこまでは言わない。
せめて、ママンの大切な人や大切な景色、大切な思い出を残してあげれるだけのほんのちょっと、ちょっとでいいから、なんとか分けてあげれないだろうか。
そもそもママンがくれた脳だもの。ちょっとくらいあげてもいいだろ。
 
まいったね。