前のめりに生きる。一歩踏み出せば決してコケはしない。

生きるって大変、でも、だからこそ素晴らしい!

第53歩 秋風は心にまで届くのか

 
はじめに、僕は極端な右の人間でも、かといって左でもない。
薄っぺらなナショナリズムを披露するつもりもなければ、日本が嫌いとも言わない。
単なるナショナリズムという言葉で括れるような考えは、「愛国」という高度な倫理とは全く別次元のお話だと思っているし、そもそもナショナリズムなんてものは静かに心の中に閉まっておいて自分のなかでのみ珍玩するべきだと思っている。
 
普段おバカ記事ばかり書いてるのに「なに急にマジになっちゃってんのやめてよ気持ち悪い」と言われちゃいそうな記事をなぜ書くのかと言うと、最近やたらと目についちゃうのだ。
 
「中国はやはり技術も知能も日本には勝てねーみてーだぞおいみんな」とか、
「韓国の野郎ども日本に対してこんなこと言ってんだぜみんなどう思う?」って。
 
2chや一部ネット上や、酒の席できゃっきゃ言ってる分にはいい。
ロクに自分たちの国のこと知らねーくせに安易に国粋主義めいてガタガタ言いやがってとは思うものの、まあ別にいいじゃん個の考えだしと思う。
 
が、ネット上のトップニュースや優良記事としてたくさんの人の目に入っているのをみて、「なんだよこの気持ち悪いプロバガンダみてーな記事は。こんなもん読んだちびっ子は俺みたいなロクな大人なんねーぞ」と、虫唾が走る思いをよくするのだ。
 
よほどのことがない限り、自分の生まれた町や国に対して自己愛の延長上にある"愛情"を持っていることは至極当たり前の話だろう。
なぜその純粋な愛を、心内に秘めて大切にさえしていればいい愛を、
奇形伴ってわざわざ呼び覚ますような真似をするのだろうか。
その果ての国家の末路など人類はイヤというほど苦い経験してきたはずだ。
 

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11月3日、我が家の玄関で、気持ちよさそうに秋風にたなびく国旗を見上げる。
ダディが朝から張り切って掲揚してたな。
 
僕「なあ親父、わざわざ掲げなくても心のなかで8万本くらいはためかせとけばいいよ」
親父「たまには出してやんねーとただの布だろ。旗がかわいそうだ」
僕「んだよ。優しいぜ親父」
 
僕は日本の国旗が好きだ。
四の五の言わずに赤に白だバカ野郎いいから見とけって言われてる気がして、
とても気持ちがいい。
国旗は、僕が吐き出すラッキーストライクの煙なんてこれっぽっちも気にしない。
「アメリカたばこ吹きかけてんじゃねーぞこの非国民が」
だなんて、国旗は言わない。
たくさんのラッキーストライクの煙を吸わされ、大勢の日本人の血を吸わされ、真っ赤に染められて踏みつけられたであろう日の丸は、今、そんなこと微塵も感じさせないほどに美しい。
 
韓国朝鮮中国沖縄露西亜亜米利加云々好きだろうが嫌いだろうが、
日本のことが好きだろうが嫌いだろうが、
んなこと知ったこっちゃないのだ。
国歌斉唱しませんでしたってやつ一体どうなってんのよって論議、どっちでもいいよ好きにさせろよと思う。
朝と下校前に、毎日毎日近くの小学校から「ちいさい秋見つけた」の合唱が聴こえてくる。
もう3週間以上続いているけど、そっちの方が問題ありだぜと思う。日に日にイヤそうな声に変っていくのが分かるのだ。w
 
どっちでもいいよと思うことばかりだけど、
どっちかっつーより、完全振り切れて900%死ぬほど大好きな韓国の友人や、仕事でお世話になった中国人の方や、アメリカ人や沖縄に住んでる友人がいる。
国のことを分かっているかのように、人間を理解した気になって物を言いたくはない。
人間を分かっているかのように、国を理解した気になって物を言いたくはない。
個を理解せずして集団を知れず。
でも、個を知りて個を語るのはいいよね。
 
そんなことを考えながら、国旗を眺めた。
理屈で風に揺れてるわけじゃねーけどなって、国旗は言いたげだ。
愛国心とは、国旗と同じようにたまには表に出さなければただの瞬刻なる思考に過ぎないのだろうか。
そうでもないと僕は思うのだけど。
とはいえ、僕がえらそうに言えるものではないな。
 
今日も一日、これでもかってくらい、自分の好きなことに没頭したぞ。
そして高校の友人たちから呑みのお誘いがかかったぞ。
僕が貧乏なの分かってて誘うあたり、かわいい野郎たちだぜまったく。
 
しょうがない、死ぬほどとことん呑んでやる
 
 
  

 

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