前のめりに生きる。一歩踏み出せば決してコケはしない。

生きるって大変、でも、だからこそ素晴らしい!

52歩 お庭をぎっくり腰が罷り通る

 
ぎっくりして4日。
ネットで調べた回復が早くなる体操を実践しながら、
普通逆だぜバカと、ママンにちくちく嫌味を言われながら、
手厚い介護を受け、まあ動けるほど回復しました。
腰を屈めたり、ある姿勢になると痛むことはあれど、
まあ耐えれるレベルだ。
 
くしゃみ命がけ
 
ええ、くしゃみを堪えた方が変な力入って腰ぶっ壊れそうなので我慢せずすることにしているものの、人生においてこれほどまでにくしゃみを恐れたことはない。
誰か僕のウワサでもしようものなら全力ダッシュで口を封じに向かい、
渾身のドロップキックをお見舞いしてやる。
 
そんなこんなで、リハビリ的に家の裏庭を通って畑を探検する。

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もともとグランパは製糸工場をやってたらしく、そこをぶち壊して畑にしたらしい。
小さい頃はまだ工場が原型を留めていて、毎年の盆休みに勢揃いするいとこたちときゃっきゃ言いながら秘密基地的に遊んでいたのを覚えている。
ちなみに、いとこのねーちゃんはよく、酔っぱらったグランパにセクハラされて「エロじじい死ねぇぇぇっぇ!くっそぉぉぉぉぉぉぉ!」と泣き叫びながら近くの小学校まで駆けて行き、何の罪もないたった1週間しか生きられないセミを捕まえて砂場に埋めまくり、文字通り虫の息となったセミたちを解放してやると見せかけて、最終的には川に激しく投げ込むという、とても人間の所業とは思えないようなくっそカオスなストレス発散をしながら夏休みを過ごした。w
このグランパの中学生女子に対するセクハラは、決して世の中のそれのような卑猥なものではなく、男女関係なくかわいい孫たちに対しての愛情表現だったのだけど、年頃の娘にとってはセミを大量虐殺してしまうほどのストレスだったのだろう。
そんな幼心に傷を負った彼女も今では30歳を過ぎ、ググったらアホほど名前出てくるような、ググらなくても知ってる人がいるような大したお方になってしまわれた。セミたちもきっとあの世で許してくれているだろう。
ちなみに、グランパの葬儀でぎゃん泣きしているのを見るあたり、いとこもなんだかんだグランパが大好きだったに違いない。
 
そんな素敵な想い出がたくさん詰まった裏の畑に足を踏み入れると、
最近この畑いじりが専らの趣味となったダディがなにやら柵を立てている。
どうやらプチトマトエリアらしい。
 
僕「へえ、うちの畑、プチトマトも採れるんだ」
父「栄養が足らんからトマトにならん、ミニにもなれん、プチ止まりや」
僕「・・・ん?」
 
トマトってプチ<ミニ<トマトなのか?
 
ww。おいおやじそれは本当か?
本当にトマトはそういう構図なのか?
そもそも品種違ったりしないのか?
 
僕のダディは、とっても博識で知識人のように見せかけて、たまに平気でテキトーなことを言う。
例えば僕が中学生の頃、ハンマー投げで有名な室伏選手をテレビで観ていたときのことだ。
父「室伏はアメリカ人みたいなご飯食べて、トレーニングして、アメリカでの生活が長いからアメリカ人みたいな顔になったんだ」
僕「まじかよおっかねぇなおやじ」
父「ああ、そのうち日本人みんなアメリカ人みたいになるぞ」
僕「まいったね。国体護持日本もくそもあったもんじゃねえ」
 
 
もろハーフじゃねえか
 
 
w。僕がそう気づいたのはだいぶ経ってからである。
そんなこんなで、ダディはミニトマトを本気で育てたらでっかいトマトに育つと思っているのであれば、僕がその向上心と夢を壊しちゃいけないと思い、今日のところは「そっか、ガンバ」と声をかけるのみにしておいた。
さらに畑の奥に足を踏み入れようとすると、「そこらじゅうに張ってるかぼちゃの茎、踏むなよ」と注意される。
なるほど、あたりを見回すとかぼちゃがたっくさん実って転がっている。
まるでアホほど爆弾置かれていっそ自爆した方がラクだとAボタン連打してるときのボンバーマンのノリだ。
僕は知っている。ママンが最近、かぼちゃに飽き飽きしていることを。
「おいしそうなのできた」と嬉しそうにかぼちゃを持ってくるダディに、ママンは近頃「まだたくさん余ってるよ」とイヤそうな顔をするのだ。何を隠そう、実のところ僕も飽き飽きしていたのだ。w
僕はそもそもかぼちゃが苦手だ。
そして、ママンが作るかぼちゃの煮つけが死ぬほど苦手だ。w
んだよ、そこらじゅうごろごろ実りやがって。
僕がかぼちゃ嫌わず食べなきゃって思えるのはせいぜい「火垂るの墓」観終わった30分以内だぜ?
 
この茎踏んだら解放されるんだよな
 
一瞬、ゲスい考えが頭を過る。w
だめ、一生懸命ダディが作ったかぼちゃだもの。
しかも僕はご飯を食べさせて頂いてる身だ。
かぼちゃくんたち、元気に育ってくれ。
 
そして願わくは鳥の餌食とならん
 
裏庭を歩くと、小さい頃の想い出がたくさん蘇る。
どれほど小さくちっぽけなものも掌中の珠とし、
小さな手のなかで消えていく小さな命の儚さを知り、
小さな世界を全力で駆け抜け、大きな夢を抱いた。
そして、30歳を手前にして再びこの場所に立つ。
振り子が振れ過ぎた資本主義の圧倒的な格差社会のなか、残業230時間超え361日がむしゃらに働いてきた僕が、この場所に持って帰れたものは一体なんだろう?
あの頃、手に握りしめていた小さな小さな宝物たちの方が、その何倍も大事なものではなかったのだろうか。
 
たわわに実ったみかんを頬張りながら眺める夕日はとてもきれいで、
きっと夕日もみかんみたいな味がするのだろうなと、さっそく一つ目の宝物を手に入れたような気がしたのでした。

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さて今日もおいしいかぼちゃ食おっかな♪
  
  

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